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表現の自由というなら、相手を尊重しなければいけない
表現の自由という言葉が、わがままに一人歩きしてしまいそうな、
フランスの新聞社襲撃事件でした。この問題は尾を引き、邦人の人質事件にもなりました。
自由という言葉と、愛という言葉は本来同じなのです。
指している直接の意味は違うものの、根源的には同族です。
表現の自由といっても、愛がないのであれば、それは自由ではなく自分勝手なだけ。
つまり、聞き手や読者に対する愛がなければ、本当の意味で表現の自由とはいえないわけです。
自由とは、わたしたちが共に暮らすこの世界を共有しているという前提での自由なわけですから、
他の人たちを無視して自由という言葉を叫んではいけません。
風刺画というのは、確かに愛がないものです。
ですから、愛のない報復を受けました。
襲撃事件を正当化しているわけではありません。
世の中には、愛が欠けているのに自由を叫んでいる人があまりにも多いということをいっているのです。
しかし、繊細な問題でもあります。
例えば、ぼく自身、そういいながら、「新聞社の人やイスラム国を批判しているじゃないか」といえるかもしれません。
愛とはなにか、自由とはなにかを語っても、見方によっては、まったく相反する解釈で捉えられたりします。
受け手は、様々に、好きなように解釈するので、なにが正しい・なにが間違っているというのは線引きができません。
それを線引きするならば、お互いの価値観を制限させることになり、これもまた自由ではなくなります。
価値観を尊重することも、自由であり、愛です。
(株式会社ASCEND FEATHER) 2015年1月29日 13:55